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400年の時を経て...現代に蘇る久留米城!復元CG完成までのストーリー

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2022.10.25

400年の時を経て...現代に蘇る久留米城!復元CG完成までのストーリー

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2021年は、久留米城に初めて有馬家が入城して400年の節目の年です。
有馬家の入城に伴い、約70年と言う歳月をかけ巨大な城と城下町に発展した久留米藩は、現在の久留米市の礎となりました。

その後、久留米城は解体され、現在の城跡は本丸の石垣のみで、僅かな名残りがあるのみ。
現在、久留米城の当時の姿をはっきりと映す史料は残っていません。

ところが2021年、有馬家入城400年を記念し、久留米城を現代に蘇らせる「久留米城復元CGプロジェクト」が始動。
僅かに残った史料を元に復元CGが完成し、当時の久留米城の姿が公開される運びとなりました。

今回は、本プロジェクトの依頼を受けた工学部 建築・設備工学科の成田聖先生にインタビュー。
復元CG完成までのストーリーをお伺いしました。


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<TOPIC>
・批判覚悟で「久留米城復元CGプロジェクト」に参加
・建築史学で紐解く久留米城の姿
・不明瞭な部分をどう形作っていくか?
・地元の歴史に興味を持つきっかけを作りたい
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批判覚悟で「久留米城復元CGプロジェクト」に参加

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ー今回の「久留米城復元CGプロジェクト」の依頼の背景を教えてください。


成田先生:
2021年は久留米城に有馬家が入城して400年記念の年ということで、久留米市からのご依頼です。
難しい案件だと思いました。なかなか制作担当者が決まらなかったと伺っています。


ーどういったところが難しい案件なのでしょうか?


成田先生:
まず、「復原」と「復元」二つの似た言葉があります。
意味はどちらも「元の位置や形態に戻す」ことを指しますが、建築史学分野では「復原」は写真や史料が残っていて明確な根拠がある場合に使われ、「復元」は推定の要素が多い場合に使われます。

今回の依頼は「復元」になります。
久留米城は現存する史料が少ないため、建物の高さや屋根の形など、史料に無い部分を推測しながら復元的な設計をします。そのためには建築知識はもちろん、当時の歴史的・文化的背景などを知ることも大切で、あらゆる情報を元に不明瞭な部分を紐解く必要がありました。


ー推測する部分が多いとなると、制作のプレッシャーも大きいのではないでしょうか。


成田先生:
そうですね。建物の形状を決める決め手となる史料がないのに、城の形を決めなければいけない。
そして、完成した映像やCGを見ればそれを間違いのない真実だと受け止めてしまう人もいるでしょう。
何十、何百パターンと考えられる城の姿から限りなく正解と思われる形を突き詰めたとしても、根拠となる史料がないために、いろいろな解釈ができるので、出来上がったものに異なる意見や当然批判もあるでしょう。新たな史料が出てきて、復元の大前提が変わってしまうこともあり得ることです。


ー批判覚悟で、依頼を引き受けられた理由は何ですか?


成田先生:
きっと久留米で生まれ育った方の中でも、自分達がかつての広大な久留米城内で生活していることに気付いていない方もいらっしゃると思います。
しかし、普段自分が生活している地域に、こういう立派な城や歴史があったと知れたなら、きっとこの街をさらに誇りに感じられるのではないでしょうか。「これが久留米城本丸の真実の姿だ」と断言できないまでも、久留米城本丸の姿を復元CGで再現できたなら、きっと多くの方に「素晴らしい歴史が自分達の住む街にあったんだ」「この歴史の延長線上に自分が生きているんだ」という事実を知ってもらえると思いました。

ですので、本学がある久留米市からの依頼じゃなければ、きっと引き受けていませんでした。
批判のリスクはあるけれど、僕自身がお世話になっている街ですから、この街に貢献したいという気持ちでこの依頼を引き受けました。

建築史学で紐解く久留米城の姿

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ー先生の専門とされている「建築史学」とはどういう分野ですか?


成田先生:
「建築史学」とは、当時の人の考えや社会的背景、そして建物の様式から、建築の歴史を紐解いていく学問です。
新たな建築を生み出す際に、自分では斬新と思っていても、過去に既に存在している場合もあります。真にオンリーワンな建物を産みたいならば歴史を学ぶことが大切です。「建築史」は建築の歴史を考えるだけでなく、これまでを踏まえて新たなことを生み出すことにも必要不可欠な学問であると言えます。

ーお恥ずかしながら、私は建築に関してまったく素人です。
 現存している久留米城の史料からどのようなことが読み取れるのか、易しく解説いただきたいです。


成田先生:
例えば、「城絵図」というものがあります。
これは城の間取りを真上から描いた図ですね。久留米城が現存していた江戸時代と明治時代に描かれたものが残っています。

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▲(左)富原文庫蔵「陸軍省城絵図」明治5年(1872年) (右)笹山神社蔵「御本丸絵図」江戸時代


江戸時代には「能舞台」がありましたが、明治時代にはこの建物が無くなっていますね。


ー本当ですね!なぜ能舞台が無くなったのでしょう。


成田先生:
江戸時代は幕府が度々「倹約令」といって質素倹約を命じていたので、能舞台は贅沢品として撤去されたのかもしれないですし、財政が厳しかった久留米藩のお金が無くなって、建て替えよりも撤去を選んだのかもしれません。逆に、江戸時代には無かったもので、明治時代には下級武士が通る玄関横に厠が増えています。


ーすごい数のトイレが増えていますね!
 下級武士はお勤めに出たり、お勤めから帰ってくる際にしかトイレに行く暇が無かったのでしょうか。トイレの取り合いにならないように、これほど多く作ったとか...?


成田先生:
そういう事情もあったかもしれませんね(笑)ただ、「こういう理由で作りました」という史料が残っていないので、なぜこの場所に厠を作ったのかは推測しかできません。

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成田先生:
それと、江戸時代の城絵図には部屋の出入口に細かく印が付けられていたり、通路の一部が雑に塗り分けられています。この雑に塗られた部分は、下級武士が歩いてもいい通路を示していると思われます。

推測ですが、この絵図は中下級の藩士に配布されたお正月イベントの時に使った、差配のための絵図かもしれません。現代の暮らしに例えるなら、イベント時に若手社員やバイトリーダーがスタッフ達に配る指示書のようなものでしょうか。字が汚く塗り分けが雑で、清書をしてしっかりと記録を残そうとした絵図には思えません。そしてこのような史料が残っているということは、もしかすると当時相当な枚数があったのではないかと思います。


ー当時の人の日々の暮らしをリアルに感じられておもしろいですね(笑)

成田先生:
こうした史料を見ていくと、当時ここに暮らしていた人の息遣いが聞こえてきますよね。全てに変化の理由があり、建築した人の想いが見えてきます。そういったものに触れられるのは、この学問の魅力かと思います。
まあこの例えは、建築史学より文化人類学的な見方に近いですが...


ーいえ、私のような素人にも易しく学問の面白さを伝えてくださってありがとうございます。とても興味が湧きました!

不明瞭な部分をどう形作っていくか?

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▲天野耕峰 笹山城図 昭和15年(1940年)


ー久留米城の鳥瞰図がありますが、これは史料として使えないのでしょうか?


成田先生:
これは昭和時代に日本画家の天野耕峰が描いたもので、久留米城の建物が解体され無くなってからの史料です。実物を見て描いたものではないので、最初はこれを無視していました。
ですがCGを復元していくうちに、この史料が思いのほか特徴を捉えていることに気付きました。もしかすると、これを描く際に参考にした古絵図が別にあったのかもしれません。櫓の描かれ方も合わせ、単なる想像図とも思われず、一定は信憑性に足る史料だと思い直しました。


ーこの鳥瞰図は天野耕峰なりの解釈もあるのでしょうか?


成田先生:
はい。部分的にはあり得ないところや、明らかに変なところもあります。
ですが、それは今回のプロジェクトでも似たような事は起こり得ると思います。僕がこういった何十、何百年前の史料を参考にしたように、またこの先何十、何百年か後に僕の復元CGを見て「本当にこの解釈でいいのか?」と言い出す研究者や各種の専門家がいると思います。
ただ、新しい史料が出てこないと判断のしようがないですね。それが歴史の謎の魅力でもあり、難しさでもあります。


ー城の見た目だけをCGや絵で再現するのではなく、建築学的視点で建設可能な構造なのかを検討したり、当時生きていた人の暮らしを想像・理解しながら、城を復元していくことは本当に大変な作業だと思います。


成田先生:
建築学的視点や当時の歴史的背景などを無視して、見栄え重視で作って終わらせることを僕はしたくありませんでした。
仮にも学者である以上、しっかり史料を読み込み、少しでも根拠がある形作りをしたいのです。時間の制約もありましたし、出来上がりは完璧と言えない部分もありますが、僕の力で推察できるところに関しては、情報をしっかり詰め込んで制作できました。


ー復元CGにとても説得力を感じています。


成田先生:
実際に形にしてみたけれど、構造に矛盾を感じて、何度も手直しを重ねました。

唯一残っている久留米城の古写真があるのですが、松の木の間に本丸御殿の大屋根である可能性がある「何か」が写っています。これを、本丸御殿の大屋根であると仮定して復元を進めたのですが、この写真の角度で制作した復元CGを見た時に、御殿の大屋根の形に違和感を感じたんです。ただ、この古写真の解像度があまりよくないので、はっきりした大屋根の構造まではわかりません。そもそも、大屋根だと思って見ていますが、松の枝の可能性だってあります。当初復元の屋根形状を変更して、光のあたり具合なども加味しながら現在の大屋根のデザインを導き出し、なんとか現状で納得のいく形に収めることができました。

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▲久留米城古写真。城絵図には描かれない建物の構造や高さを知るための重要な手がかりとなった。

地元の歴史に興味を持つきっかけを作りたい

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ーこのプロジェクトに参加してみていかがでしたか?


成田先生:
9月に久留米シティプラザで行われた久留米入城400年記念イベントで、有馬家の方や市民の方々に復元CGを使った映像を見ていただきました。学生達にも見てもらいましたが、みなさん割と興味を持って喜んで見てくれましたね。「若い子が見ても、このように興味を持ってくれるんだ」ということがわかっておもしろかったです。

また、今回のプロジェクトは西日本新聞にも取り上げていただいて、多くの方に興味を持っていただけているのか、ウェブの検索フォームに「久留米城」と打つとサジェストに「復元」と出てくるようになったと聞いています。


ーもしかしたらこの復元CGが久留米の新たな観光資源の一つに発展する可能性もありますよね。


成田先生:
今後どう活用されるかはこれから決まっていくことも多いですが、何らかの形で人の目に留まって、この土地の歴史に興味を持つきっかけになってもらえるとうれしいです。


ー成田先生、本日はありがとうございました。
 久留米城復元CG制作の裏側と建築史学という学問を知ることができて、大変興味深いインタビューとなりました。


この復元CGは、当時の暮らしをより鮮明に、より身近に感じさせてくれるものです。
この復元CGがこれから久留米市のPRに広く活用され、この街に暮らす人々が地元の歴史に愛着と興味を抱くきっかけになることを期待しています。

取材ライター:小林 祐子

株式会社サンカクキカク デザイナー / ライター

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